北朝鮮旅行2日目は早くも開城観光の日であった。
宿泊している高麗ホテルで朝食を取り、約束した時刻にホテルのロビーでガイドと待ち合わせをし、専用車で開城に向かう。
開城は韓国との軍事境界線・板門店への観光の拠点ともなっている都市である。かつて高麗の王都が置かれていた北朝鮮を代表する古都であり、現在は韓国と共同の工業団地があることでも知られる。
朝鮮半島は、第二次大戦後それまでの日本統治に変わって、アメリカとソ連によりきっちり北緯38度で南北に分かれて統治されることになった。当初開城は韓国側が支配していたが、1950年に勃発した朝鮮戦争で南北が一進一退を繰り返す中、最終的には北朝鮮の領域に組み込まれたという経緯がある。
平壌から約200km南に位置している。ひたすら幹線道路を走るが、車窓からの眺めは田園風景が続いているだけで変化に乏しいものであった。
最初こそガイドと北朝鮮社会について話していたが、徐々にうとうとし始め気付いたら眠り込んでいた。
2時間ほどで開城に到着した。
南北軍事境界線の板門店
まず向かったのが板門店(パンムンジョム)である。1950年に勃発した朝鮮戦争の休戦協定が調印された場所であり、停戦ラインである軍事境界線上に位置している。北朝鮮ツアーでは必ず立ち寄るといってよいほどの観光名所でもある。
見学者は数十人単位でまとまり、北朝鮮人民軍兵士に警備されながら順次施設を見学していくというスタイルであった。ほとんどが中国人観光客である。
まずは停戦協定調印場と、その隣にある博物館へ。室内には朝鮮戦争に関する写真資料が展示されているが、あまりじっくり見ている時間はない。また国連軍と北朝鮮軍の停戦調停サインがそれぞれの国旗とともに展示されている。人民軍兵士の説明によれば、アメリカが負けを認めたくないがために、アメリカ国旗ではなく国連の旗のもとに停戦協定を調印したという。北朝鮮では、朝鮮戦争はアメリカの敗北で終戦したことになっているのである。この一件だけでなく、ガイドも「朝鮮戦争は、」と言った後は必ず、「我々の勝利で終わりましたけれども・・・」と付言してくる。
次に向かったのは軍事停戦委員会の本会議場である。中心にマイクが置かれたテーブルがあり、そのテーブルの中心は南北の境界線が引かれている。とはいえ、この会議場内に限っては境界線を越えて行き来することができた。壁には停戦委員メンバー国の国旗が掲げてあったが、その中にソ連の国旗が見当たらない。ガイドに聞くと、ソ連は参戦していないということだった。朝鮮戦争自体が、韓国側(北朝鮮風に言えば南朝鮮)から仕掛けたことになっているなど、日本で教えられてきた経緯と食い違っている。
板門店は韓国側からも訪問できるが、その場合は停戦協定調印場は立ち寄ることができない。また緊急事態の際は負傷する恐れがあることを承認する署名も書かされるなど、意外にも北朝鮮側よりピリピリしているらしい。南北どちらからも訪問して雰囲気の違いを感じるのもいいかもしれない。